にーやんのブログ

三振したにーやんが再ローを経て司法試験に合格した弁護士の物語である

表現の自由と差別というレッテル。の巻

にーやんでーす。

最近のニュース
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このニュースは知っているだろうか?

例のアメリカの大虐殺事件の犯人について、「キチガイ」と発言したニュース。

キチガイ」という言葉それ自体に即反応して、「差別!!!!」とか言う人が少なくない。

小生も小学生のころ、「キチガイ」という言葉は差別の言葉だから絶対に言ったらダメだと。
それは、「穢多・非人(えた・ひにん)」と同様に扱われた。
穢多・非人は差別のためだけにある言葉。
キチガイも差別のために作られた言葉なのだろうか?
キチガイも穢多・非人も同じジャンルなのか?

小生はこれって思考停止だなと思う。

動画を見る限り小林旭氏の発言が、精神障害者を差別しようとして発言したものではないことは明らか。
むしろ健常者なのに確信犯的にこういう残虐なことをする奴は気が狂っているという趣旨の発言で、実際にそう思った人も多かったと思う。

違和感を拭えないのは、これが「クレイジー」という言葉であれば許されていたのかなという点。
キチガイ」という言葉も別に精神障害者を差別するだけに使われてきたわけではない。
「クレイジー」って言葉はイカシテイル、最高って意味でも使われるけれど、それは常軌を逸しているというパフォーマンスに対してよく使われる。
逆に、サイコパスのような狂っている人のことを指すこともある。

言葉には多用な意味合いが本来あって、「キチガイ」=「精神障害者を差別する用語」とのみ捉えると、小林旭氏の発言の言葉尻を捉えて小林旭氏は差別論者だということまで話が大きくなる。

確かに、無意識にそういう差別意識を持っているというケースも少なくない。

要するに、言葉は多用な意味を包含しており、そのニュアンスによって千差万別。前後にどういう発言をしていたのか?そういうことも含めて考えるべきこと。

にもかかわらず、「キチガイ」という言葉だけで無意識に差別主義者というレッテルを貼ってしまう人も同様に差別主義者じゃないか?

それだけ、固有の意味での「キチガイ」だと認識しているという裏返しなのだから。

別に「キチガイ」という言葉を奨励しているわけではない。
ただ、表現の幅がその分狭くなるわけで、それは違うだろと。
表現の自由では言論の自由市場という考えがあって、淘汰されていくものと真実発見から民主主義、個人の人格的発展に資するものなど色々ある。

それを初めから禁止して、その可能性を閉ざすのはもったいない。

お笑いが好きな小生は、最近のバラエティについて、よくそういうことを感じる。

ハゲ、デブはOK
でも、キチガイはダメ。精神障害者を差別するから。

いや、クレイジーがOKなら同じ意味として捉える余地あるやろと。
つっこみで「キチガイ」とか、最高にクレイジーなボケに対してじゃないと笑いは起きないやろうし、あえてそんなことする必要もない。
でも、なんか日本語のほうがいい。
「クレイジー」という言葉に良い意味、悪い意味があるように、「キチガイ」にもそういう両面を備えてくれてもいいじゃないか。
超絶技巧ギタープレイを見て、「ありゃキチガイにしか真似できねえ最高なプレイ」とか、そういうフレーズを受け入れてもいいんじゃないかなと。
「クレイジーな最高なプレイ」という趣旨でもそういう言葉を使ってもよくないかな?
同様に最低な身勝手な無差別殺人者のことを「キチガイ」と発言した小林旭氏は本当に純粋にそういうふうに感じたことをありのまま発言しただけだと思うし、それは真実だろうと思うし、別に精神障害者一般を指した言葉でもなく、犯罪者個人に向けられた言葉であって、人間って本来個人として個性があって、個々で違って当たり前。
キチガイ精神障害者」というふうに人間を画一的に認識している人のほうがよほど差別主義者であり、個人の尊厳を無視している人にしか思えない。

報道においても言葉で表現する際に、言葉尻を捉えてレッテルを貼ろうとするものも少なくない。
特にテレビはそういうしょうもないことをする。


謝罪するならその責任者が謝罪すべきだろ?
中途半端な謝罪は違和感しか生まない。
え?なんで謝罪したの?となる。
そして、こういう窮屈さが今のテレビがおもしろくないところだなと。

土曜、日曜と、司法試験合格のお祝いをして頂いたテレビ局の法務の人とそういうことを語り合ってました。
まぁ、でもそういう社会が健全だというアホな大人が多いのなら仕方ないかなぁ。

もっと自由を重んじろよ!
リベラルを気取っている人ほど差別に敏感でこういう放送禁止用語に反応する。
おいおい、リベラルって本来、自由を尊重するものだろ?

憲法の教科書には、差別と自由は究極的に矛盾するところがあるって勉強しなかったのかね。

というわけで、小生こそ真のリベラル派だと思っているのですが

そういえば、憲法改正について現状維持の左翼っておもしろい現象だよね。
だって本来左翼って革新派という意味で使われていて、
逆に、保守派の自民党憲法という国の根本規則を変えようとしている。

日本は矛盾って言葉の国なのかも。

そういう点で言えば、小生は中道にして右にも左にも偏らない感覚を持っているな!
って勝手に思っているだけなのかなぁ……

脱線したけれど、表現の自由の価値はもう少し尊重したらどうかなと。
でも、表現の自由について研究している憲法の偉い学者とこの話をしても、自主規制は良いんじゃないかとか言ってたし、やっぱり言葉狩りでいい国なのかなぁ。
もちろん、「キチガイ」という言葉を奨励しているわけではない。
けれども、もう少し表現の不自由さは考えていったほうがいい。

言いたいことも言えない世の中


ぽぽぽおp。POISON(反町)

改正債権法の債権者代位権は中途半端?の巻

にーやんです。

最近、労働法や倒産法の勉強をしてます。
岡口先生の要件事実の問題集もやりたいなぁと思っているところですが、なかなかそこまでできてません。

久しぶりに会社法にも接していまして、結構知識が抜けてるなぁと反省中。
しっかり体系的に理解するというのが重要だなと再認識。
まぁ会社法って政策的な部分が大きく、これまでの法制と真逆のことが制度化されたりする。自己株式とか。
そういうのもあって、民法ほど原理・原則、主義、思想が徹底されているわけではない。
とはいえ、改正民法も従来の考え方を変更する部分もある。意思表示の錯誤は「無効」ではなく「取消し」とか。
もっとも、ローマ法時代の心理学的分析による意思表示理論はすでに10年以上前のドイツでも採用されなくなっているので、今までの民法が古すぎたというのもあるので、理論面が進化したということもできるかもしれない。

しかし、改正民法でわけわからないのは、債権者代位権
これも改正された部分があるのだけれど、超重要だと思う「制度趣旨」については曖昧なまま放置!
民法の偉い先生と飲みに行ったときにも「中途半端!」とか言ってました。
何が中途半端かというと、債権者代位権行使と相殺の関係。

金銭債権を有する債権者が債権者代位権に基づき債務者の金銭債権を差し押さえて相殺することができるか?
判例は「できる」というのだけれど、債権者平等の原則との関係では説明しづらい。
債権者代位権は債権者平等の原則のための責任財産保全のための制度」という考えからすると、相殺を認めるとその分について債権回収した状態と同じとなり、これでは責任財産保全にならず、むしろ権利行使者の先取りを認めることのにってしまう。責任財産保全を重視するのであれば、相殺は認められないということになる。

ロースクールでは改正の委員会にいた先生の授業で、改正経緯についても勉強して、別の民法の先生とも話を聞いたところ、要するに「判例を条文化する限度で改正しよ」という結論に至ったよう。
委員会では学者や省庁の公務員、弁護士などがそれぞれの立場から意見を戦わせるわけだけれど、全委員一致じゃないと条文化にならないというルールがあるようで、そういうのも中途半端な原因なのだろう。
逆に、訴訟上の問題との関係で、これまで代位権行使の通知が債務者に到達した後は管理処分権を失う結果、被代位債権について権利行使できないと解されていた(判例)。
ところが、改正法ではこれとは真逆で債務者による被代位債権の権利行使は認められることとなった。代位権を行使した債権者は債務者に訴訟告知義務も課されており、債務者は訴訟参加できるということになるのだろうが、これまでは債務者は管理処分権がなくなり、代位債権者は法定訴訟担当という構成で既判力が債務者に及んでいたが、この点はどうなるのか?株主代表訴訟と同じような感じになるのかな?

たこの点についても、時間があれば調べようっと。

民法の勉強は売買契約から?の巻

まいどでーす。

にーやんです。

司法試験ってやっぱり民事系を制する者が勝ちやすいなと、改めて思うところです。
特に民法は範囲が広いので、攻略は難しい。

初学者にとって最大の壁といえる。
小生もそうでした。

民法をマスターするコツは、まず売買契約を押さえること。

小生はそう思うところです。

なんで売買契約か?
まず売買契約は有償・双務契約の代表格でもあり、他の有償契約に準用されるもので、しかも最も具体例を想定しやすい。
そして、売買契約を理解するということは、契約の成立について理解することでもあり、そこでは意思表示や法律行為といった基本的な用語の理解が必要となるので、契約各論の知識だけではなく、民法総則の理解も必要だということも、これによって気づける。
そういうわけで、基本として押えるべき契約類型といえる。

というわけで、まず押えるのは民法555条から。
ここから契約の法的意味を理解することが可能になってくるので、具体的に考えてみる。

民法555条は次のように書かれている。

売買は、当事者の一方がある財産権を相手方に移転することを約し、相手方がこれに対してその代金を支払うことを約することによって、その効力を生ずる。

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今年の民訴設問1の愚痴。の巻

まいどまいど~

にーやんです。

成績通知到着しました。
試験直後に晒した刑訴の再現答案はAだったので、この程度書ければという参考にしてください。
nihyan.hateblo.jp

民訴もAでした。今年の民訴に関する既判力などの考え方は色々と書いたので、これもよければ参考に。
nihyan.hateblo.jp
nihyan.hateblo.jp
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nihyan.hateblo.jp
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↑に民訴設問2の答案構成もここにあります。
ここでも書きましたが、民訴はもう少し詰めて問題文を工夫すべきだったんじゃないか?という不満があります。
まぁ終わった話なのであれですが……

設問1についての個人的感想として、
「そもそも訴訟物レベルで考えればまず処分権主義違反になるけど、問題文の誘導的には弁論主義だよなぁ」
と思いつつ、答案を書いたことを今でも忘れられない。
配点も15しかないので、無駄なこと書いて時間大丈夫かなとか思いながらも、処分権主義違反についても簡単に書きました。
というのも、引換給付判決できるかという問において訴訟物レベルでも問題になるのは明らかだから、そこをスルーするのも違うと思ったため。

こんな気持ちとは裏腹に、出題趣旨にはこの点に触れられておらず、このなんともいえない感情を消化してくれることはありませんでした。

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過去問のすゝめ

まいどでーす。

修習の書類をやっと送ったにーやんでーす。

教えてないのに,さっそく色んなところからメールが届いてくるもんなんだなと困惑。


成績がまだ届いてないのであれですが,なんか参考になることでも書こうかなと。
この長い受験生活の反省なんかを書くと,きっと反面教師的に参考になると思ってます。

今日は,受験生が陥りがちな失敗例。

過去問について。

過去問ってやっぱり本試験の闘いそのものなので,実力が付いてからやろうとする人が多いと思うのですよ。
かく言う小生もその例に漏れず,「未熟なうちはまだ過去問は早い」なんて思ったものです。

しかし,やっと合格した自分としては完全にこれは失敗だったなと痛感するところです。
できれば,未修も含めて,むしろ司法試験を目指した瞬間にまず過去問を解いてみるべきじゃないかと思うわけです。
法律をまったく勉強していない場合も含めて。
もちろん,そんな状態で問題文を読んでも,まったくわからないというレベルかもしれません。
でも,それでいいと思うわけです。

なぜかというと,出題趣旨や採点実感もあるので,まったく法律を知らない人でも,これを全部読めば,なんとなくであれどういうことが求められているのかがうっすら見えてくるはずだからです。
各科目,全年度これをやるだけで,「あれ?またこの言葉でてきたな」とか思うはずなんです。
「刑法は共犯ってのが毎回出るな」とか,「損害賠償?時効?抵当権?」とか,「強制捜査?伝聞?また出た」とか,「既判力?自白?弁論主義?またかよ!」みたいな。

要するに,過去問を通じて目に付く言葉ってのがあるので,今後の勉強でもそういった言葉に反応して,力を入れるべき範囲が見えてくるわけです。
さらに,一通り試験科目の勉強を済ませた後は,司法試験はどの程度まで勉強したら解けるかというのも見えてきます。
個人的にはこれが1番重要だと思うところで,過去問を通じて過不足なく試験対策に必要なことが何かというのが見えてくるのです。

実は,過去問を後回しにしたまま,完璧に論点を勉強しようとかやっていると,きりがありません。
特に主要論点に関する学説なんかは無数にあったりすることもあって,そういうことに振り回されて色んな基本書を読み漁っていると,必要最小限の試験対策で足りるところを,その数倍もの時間をかけて過剰に勉強しちゃったりするわけです。はい,小生がそうでした。反省してます。
しかし,そんなことやっていると,試験科目が広範な司法試験の準備は完了しません。
特に未修の方は時間との闘いです。
圧倒的に勉強時間が足りないにもかかわらず,たった1年で既修の人以上にならないといけません。
長年やれば知識は増えてきますが,未修の方はスタートからかなり厳しいということになります。

まぁ隠れ未修といった人も少なくありませんが,1年で既修以上にレベルを持って行く必要があるのは変りません。そうでなければ本試験までに間に合わない可能性が高いからです。

と,まぁとにかく司法試験は勉強すべき範囲が広く,時間もかかるということで,費用対効果を考えて効率的に試験対策をしないといけない。
にもかかわらず,倒すべき敵の実体が不明のまま修行するというのは効率が悪いわけです。
ドラクエのようなRPGゲームをしたことがある人ならわかるかもしれませんが,敵の性質や弱点を知れば敵を倒す対策を講じやすいわけです(はぁドラクエなんか10年以上やってねーな)。
司法試験も実はドラクエだったんですね。ゾーマ(古い)を倒すには過去問をやり尽くして対策。これで,倒すべき敵の弱点が見えてくるわけです。
上位答案という文字通りハイレベルの猛者の答案があるわけですから,それを見れば敵の倒し方をわかります。
そして,自分も同じように倒すための実力を付ける。
試験対策はそれだけなのです。
スライムを倒し続けてレベル100目指すのではなく,はぐれメタルとか経験値を効率よく稼げる方法があって,そしてレベルも50くらいで十分に司法試験に合格できるわけです。
前者が500時間くらいかかって,後者が70時間くらいかかるなら後者であるべきでしょ?
過去問がその手段,つまりはぐれメタルなわけです。いや,メタルキングなわけです。
そして,このメタルキングを倒してレベル50になったら,本試験でボスを倒すと。
ということで,経験値を効率よく稼いでレベルを上げましょう。

過去問を分析するっていうのは,効率よくレベルアップするための下準備というわけです。
具体的には,過去問という問題文に加えて,合格者の答案や出題趣旨,採点実感等を分析するわけです。これによって,具体的に自分に必要なものが見えてきます。
例えば,伝聞・非伝聞の区別って全然わからないとか,規範的要件ってなんぞ?とか,そういうのが見えてくると,自ずと自分に必要なものが見えてくるわけです。
実際に,過去問をみて,普段使っている教科書や百選でその論点に関する記述を読んで,どの部分まで理解しておけば問題が解けるレベルになるかというのが具体的に把握できるようになります。

このようにして,過去問を通じて,効率よく必要なものを勉強できるというわけです。

実際に,問題を通じて教科書を見返してみると,理解度もかなり深くなると思います。過去問を解いてないと経験値10しか得られなかったところが,同じ教科書でも30~50くらいの経験値になるわけです。漫然と教科書を読むよりも何倍も効率が良くなります。
自分の経験から,教科書を読んで理解した「つもり」なのが1番ヤバい。教科書読んで準備したのに,実際問題を解こうとしても解けないといった経験をした人も少なくないんじゃないかなぁ?
教科書を読んで「理解した!」と実際には理解してないのにこういう勘違いをしてしまうと,そもそも間違えるまで修正する契機がないんですよ。「わからないな」と思ってたら,わからないところを勉強することで克服できるのですが,「わかったつもり」はそもそも勉強し直す契機が自分から出てこない。
このまま本試験に吶喊してしまうと,そのまま砕けてしまったりしまい,後の祭りになったりします。はい,小生はよくそういう経験をしました。
そういう失敗をしないためにも,まぁ最悪過去問じゃなくても演習問題は常に解いて本番を意識することは絶対に必要だと思います。

ただ,早めに過去問をつぶすことによって,あぁ,あの問題はこういう理屈で解けるんだなとか,納得して本試験に直結する思考で教科書も読めるようになってくるわけです。こういう経験を積み重ねれば,ぐんぐんレベルが上がっていきます。
もちろん,これは試験対策として勉強をする際の効率のためなので,過去問だけやればいいわけじゃないのは当然です。
まぁこれは自分の経験からくる感想なので,実力付けてから過去問を解くべきと思ってちゃんとやれる人もいるので,そういう天才には向かないと思いますが。

ただ,いわゆる上位ローにも未修で留年とかしている人にはそういう効率を考えた試験対策をしていない人がいたので,もったいないなと。
自分も含めて受験生には結構頑固というか,勉強のスタイルをなかなか変えられない人がいて,それが効率の悪い努力だとほんとにもったいないのです。
そういう頑固な人に限って「予備校はだめ」という固定観念があったりして,予備校教材を使わないで論証も自前ですごく時間をかけてたりします。小生も結構そういうところがありました。話を聞いてみると間違っているところがわかってしまうので,気になるんですよね。ただ,お金がなかったから予備校を沢山利用してたと思うし,そうすべきだったかなと。
いずれにしても,実務家になったらもっと柔軟な思考を求められるので,もう少し視野を広く色々やってみてもいいのではないかと。

司法試験って,他の士業資格と違って,受験生が予備試験合格者と法科大学院の修了生で,全員が本気で数年間試験勉強している人だけなんですよ。
6000人でも,全員がそういう人。親に言われたり,会社に言われたり,なんやらで嫌々仕方なく勉強もしないまま受験する人は皆無といえる試験ということです。
そういう受験生の中で少なくとも上位25%以内に入らなければ合格にならないという競争なわけです。
4人に1人といえば簡単かと思うかもしれませんが,4人が似たような能力で必死に競争しているわけで,簡単なレースというわけではありません。

ということで,以下に3人よりも上に行く勉強をすることがいかに重要かがわかると思います。勉強してない受験生はいないんですから。

もちろん,受験生個人個人でやるべき対策が違うので,あくまで一般論ですが,
「未修1年目だから過去問はまだ」
という人よりも
「この夏休みに過去問を一通り検討した!」
という人のほうが,今後同じ授業を受けても伸びしろが違ってくるんじゃないかなというのが個人の経験です。

自分は過剰に勉強だけはしてたので,例えばある憲法の試験委員の先生がしゃべっている説明を聞きながら,「あ,これ高橋先生のあの論文のフレーズ!」とか無駄に反応していましたが,
過去問を解くことによって,「あ,この先生が言っているのは,この過去問の論点のことだ!」という反応ができて,同じ内容でも頭の入り方が変ってきます。

そして,司法試験の問題は天才たちが集まってあれやこれや言って作成するらしいので,ある意味では教科書よりも勉強になる素材でもあります。
また,過去問の解説している教材もあるので,ここから勉強してみれば,ロースクールの勉強なんて楽勝だったりします。

それに一回過去問を解いたからといって,二回目に完全正解の答案を一科目2時間で書けるようになるわけでもありません。
何回解いてもうまみがあるのが過去問かなと。

そういうことで,色々とメリットがある過去問をさっそく解いてみてはどうでしょうか?
勉強内容を度外視してなかなかストーリーがおもしろいおこわの問題とかクジラに船がぶつかった問題とか,1日に何人の犯罪者に家に侵入されてんねんとか,そういう問題があって,なかなか笑える問題も少なくありません。心の中でつっこみながら読み込めばきっと忘れることはないでしょう。
錯誤の修士論文書いた自分は,型番の例の問題も良問かなと。意思表示の一致はいつ?内心的効果意思を欠いていても契約は成立するのか?勘違いによる意思表示の契約の不一致と錯誤の違いとか重要だけど,理解している人は少ないかなぁ。

もっと早く過去問をやり尽くせばよかったぁと後悔していますあたくし。

司法試験の合格の喜びと不合格のつらさ

まいどまいど

にーやんです

改めて、やっと司法試験に合格できました。

10年以上勉強して、まだ全然合格の実感がないけれど……
心臓バクバクで何回も確認して、番号発見したときはずっと手の震えが止まりませんでした(汗)

合格の日は、ずっとお世話になった先生や友だちに連絡したり、連絡がきたりしてました。
本当に感謝しかなくて、こんなに小生のような人間のことをみてくれて、お祝いのお言葉をくださって、しあわせすぎました。

一気に色んな人と色々話ができた。
お祝い頂いた人の顔ぶれをみると、自分の人生と同じで本当に色んな人とつながっているんだなと改めて思った。
特に、ミュージシャンの種浦マサオ兄さんのメッセージは笑いあり、涙ありでした。
さすが人生の先生。

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三振・再ローが平成29年度の司法試験でとうとう……

司法試験に合格できました!!!!

晴れて,このブログも
「三振したにーやんが再ローを経て司法試験に合格した物語である」
に変更です。

本当に長かったなと

合格したらとんでもなく嬉しいんだろうなと思っていたけれど,落ちた友だちが連絡してくれて,色々思うところがあるのです……
色々書きたいこと(特に落ちたことについて)もあるのですが,落ち着いたらということで。