にーやんのブログ

三振したにーやんが再ローを経て司法試験に合格した弁護士の物語である

学問の自由。の巻

まいどでーす

にーやん弁護士です。

2年目も後半なのに、まったく弁護士っぽくないまま変わらずやってます。

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このニュース


違和感しかない。

「学問の自由」って意味を知らないまま、適当に報道している報道機関多過ぎじゃないか?
個人的には選ばれなかった先生の中にお世話になった先生がいて、かわいそうなことになったなと思ったけれど。
しかし、「学問の自由」とは別の話。
「学問の自由」って問題にしてるやつはいったい誰なのか?
憲法を勉強したことないんじゃないか?

こういう感覚のにーやんは古いのかなぁ?

そもそも、選ばれなかった人の学問の自由は何ら制約されていない。
10億の税金使って研究する自由が国民全員に認められているわけでもない。

しかも、これまで推薦された名簿を任命していたという「事実上の慣習」があったに過ぎない。
「任命権」があるということは、任命する権利があるということであって、任命する義務を負うわけではない
というのが一般の理解だと、少なくとも法律的には思うわけで。
数名任命しなかっただけで、その権利を濫用したことになるのだろうか?
まぁ理由によるという意見もあるのかも。
ただ、こういうのって広範な裁量権が認められるわけで、その裁量権行使についておかしい部分があるというのであれば、
そこをメディアは報道してほしいわ。

ただ、「任命しなかった」という事実だけを問題にしているようじゃメディアの存在価値なし。
挙げ句、「学問の自由」っていうのを言いたがる記者は、「学問の自由」の意味を理解しているのだろうか?

政権批判はしないと駄目だけれど、そこをちゃんと理解しないままだと、明後日の方向にいってて、世論を正しい方向に導くということはできない。
これまで慣習で任命してきたこと自体がおかしかったかもしれないのに、そこはスルーですか?
学問の世界では、師弟関係が強い。少なくとも法律の世界なんかめっちゃそうだ。
団藤先生の弟子か平野先生の弟子かで、めっちゃ意識してたはず。
まぁそれはいいや。

話を戻すと、要するに、この問題は、適材適所って話かなと思う。
その任命権者がいて、それは日本の内閣総理大臣
内閣総理大臣が日本の未来を考えて、適切ではないと思った学者を政府機関の人材として採用しなかったとしても、それなりの理由があるのならば仕方ない。
理由が、「糞左翼だから駄目」とかいうことなら説得力がないけれども、それなりに正当な理由があれば十分。

仮に、「この人が○○とか言ってたりして国益を損なう。だから任命しなかった」と総理大臣が言えば、逆にその学者はバッシングにあう可能性すらある。
そういう配慮の下、理由については控えるというのもあり得る。

こういったことを議論してみればいいのに、ただなんとなく「学問の自由」とか言うメディアは、むしろ憲法がいう「学問の自由」を勉強した上で、きちんとどう学問の自由の制約になるのかを説明すべきだろう。
そもそも、国民の中にどれだけ「学問の自由」と「教育の自由」の異同について理解しているのか怪しい中、これらの意味について考えるきっかけになったことはいいことだ。
学問の自由について復習しよ。

ちなみに、これを表現の自由とか言論の自由弾圧につながるとか言ってる人がいるわけですが、憲法の論文試験でそんな答案を作成するとどう評価されるのか?
考えるとおもしろい問題