にーやんのブログ

三振したにーやんが再ローを経て司法試験に合格した弁護士の物語である

久しぶりです

なんだかんだで弁護士になって5年目のにーやんです。

去年は頑張りすぎて、体調を壊したりもありましたが、公私ともに充実した1年でした。

今も司法試験受験生の頃をたまに思い出す。
もう少しこうしてたら良かったなとか、そういうこと。

一番思うことは、視野が狭かったということ。
試験対策ということで割り切って試験対策していたら、もっともっと短い時間で合格できたなぁとか。

受験生の皆様にはそうならずに、うまいこと割り切ってやってほしいと思います。
例えば、教科書とかにこだわって色んな基本書を漁るのは止めましょう(笑)
そんなことよりも肢別本や演習書で問題をつぶすことが大事です。
問題を解くことを通じて、知識は増やしましょう。

司法試験は、正しいやり方で努力すれば絶対に合格する試験です。
合格してからが本番です。
頑張って!

弁護士の起案も司法試験と同じ要素がたくさんある。の巻

三振して弁護士になって活躍中(自称)のにーやんでーす。

弁護士4年目にもなると司法修習生や後輩の弁護士を指導することもでてきます。

訴状や準備書面を起案してもらいチェックすると、実力がある人かどうかよくわかります。
訴状や準備書面なんかは、実務家が起案する法律文書であるので、司法試験と同じ要素がたくさんある。

チェックしていて司法試験と同様に重要な点だと思うことは、次の点

  1. 主張内容が簡潔にわかりやすくまとまっていること
  2. 法律要件に則して、もれなく整理されていること

主張内容については、「なぜこんなことを書いたのか?」という書面を作成する輩がいたりする。
「法律要件の位置付け、争点との関係は?」と問いただすと回答できない人がいたりする。
これは本末転倒。いったい何のための書面なのか?
できの悪い例だけれど、実際にそういう弁護士がいたりする。

原因としては、そもそも法律要件が頭に入っていないまま起案している。
大問題である。

司法試験の問題を解く場合も同じで、法律要件との関係でどの要件の問題なのか意識しなければならない。
次に、事実認定の問題においても、どういう主張をするためにどのような事実が必要かということも、法律要件に基づいてまず主要事実を確定しなければならない。
本件における主要事実として主張すべき事実がどういう事実であり、直接証拠がない場合や乏しい場合には、間接事実が何か、その間接証拠は何かを考える。
法律論は、こういった基本構造を理解していたら、外れた主張をするおそれはないはずである。

以上を前提に、簡潔にわかりやすい文章を起案するということも大切である。
司法試験の添削時間と同様に、裁判官の時間は有限なのである。一読了解の文章を心がけなければならない。
論点が1つや2つならいいが、多数の論点について論じる場合には、ナンバリングも意識しなければならない。当然、理解しやすくするための手段である。
読み手に通用しない文章は、法律論以前の問題として、不利にしかならない。

訴訟では、法律論として主張する内容が成立するか成立しないかであるから、法律要件に則して、事実を主張する。
評価の問題としては、法解釈と事実の評価があるが、いずれにしても、法律論を前提として、経験則・論理則に基づいて、簡潔に正当性を主張する。

司法試験の答案も実務家のしている起案も基本的には同じことをしているはずである。
些細な細かい論点ばかりに目を奪われずに、大きな視点として法律論を論じるということを意識できれば、どんな問題にも対応できるはずである。
逆に、これができていない場合には、知識がどれだけあっても論文試験では通用しない。

受験生の一番のミスは、三振した自分自身の経験を踏まえて言うと、こういった大きな視点を見失って、知識の有無だけで自分の実力を発揮できない答案になってしまうことにある。
不合格になっても、この点が切替えができないと、いつまでもたっても合格答案に達しない。

合格の第一歩は、自分自身が変わることにある、という不合格者も少なくない。
合格して、実務家としてのスタート地点立ってください!
このブログを見てる受験生をにーやんは応援しています。
が、にーやんができることはアドバイスくらい。
やるのは自分自身ですよ!頑張れ!

久しぶりなのだ

まいどでーす

にーやんです。

弁護士4年目になりました。

昨日、司法試験の夢を見てしまいました。
試験直前の模試の夢。胃がキリキリして痛い時期を思い出しました。

弁護士になったら夢があります。
その1つが自立して稼げるということ。

弁護士の業界は色々言われていますが、普通に弁護士として真っ当な仕事をしていたら、3年目で年収1000万円は超えます。
夢がある職業です。

依頼者のために法律を駆使して最大の利益を図るということも、やっていておもしろい。

しかし、4年目にもなると、弁護士に向いていない弁護士というのもわかってくる。
・メンタルが弱い
・依頼者の利益のために自ら考えて行動できない。指示待ちのいそ弁
・コミュニケーション能力が低い
こういった人は、弁護士に向いていない。

今の司法試験は受かりやすい。
勝負は弁護士になってから。
15年も試験勉強してても、弁護士になったら人生変わります。
ファイト!

「悪口と差別発言は違う」というひろゆき氏は論理破綻?

まいどー
ただの弁護士です。

久しぶりのブログ
忙しいのです(´;ω;`)ブワッ

ひろゆき氏がフルボッコにあっているという記事を見かけた。


yaraon-blog.com

前々から、ツッコミどころが多いのに、なぜ誰もテレビではツッコまないのか?
と、思ってたところ、鋭いツッコミが入ったようです。

ここでは「Putainの多義性を知らない人が」という文章を冒頭に持ってきている。これは明らかな結論の先取り。尋問なら誤った前提での発言ゆえ誤導だと異議を出されるのではないか?
「Putainの多義性を知らない」のかどうかは明らかではない。ひろゆき氏の頭の中だけでそういう(誤った)前提で発言しているのである。
法律の世界では、事実認定は、論理則・経験則に基づいて事実が導き出されるわけであるが、「Putainの多義性を知らない」ということは客観的に明らかになっていないし、そもそも問題点はそこではないのに論点のすり替えをしている旨指摘されている。

また
「「フランス語の専門家」を名乗ってるので、不勉強だと指摘しました。」
というところが、ひろゆき氏のおもしろいところ。いやいや、不勉強はどっちなんですかと。

ずっと違和感があったのは、ひろゆき氏が、当初から下記のような発言をしていたときから。
news.yahoo.co.jp

自身のYouTubeで、「悪口と差別発言は違う」と主張した上で、デンベレの発言は悪口で、日本人に対する差別の意図はないという見解を示した。その理由として、あの動画内で日本人従業員がウイニングイレブンの言語設定を日本語からフランス語に変えているという状況に、多くの人達が気づいていないと指摘。日本語を馬鹿にしたのではなく、言語設定の問題について会話しているという見解を示した。「フランス語の知識と日本語の知識の両方が分かっていないと(動画)全体の構造が理解できない」「『あれを差別と認めないんですか?』、『フランス語が分からないんですか?』と書いているんですけど、あれは悪口なんですよ。差別だと言い張りたい日本人が多いんですよね。なんであれを差別にしたいのかわからない」

「悪口と差別発言は違う」と主張しており、「悪口」と「差別発言」が峻別できるかのような物言い。
しかし、「差別発言」の多くは人に対する「悪口」であることは、すぐにわかりそうなことではないか?
例えば、ひろゆき氏がよく利用すると言われているウィキペディアにも下記のように記載されている。
差別用語 - Wikipedia

差別用語」とされる言葉には、以下のようなものがあげられるが、もともと差別用語ではなかった言葉や、蔑称、差別と無関係な言葉もある。使用者本人が「差別」に当たらないと考えていたとしても相手の捉え方次第では「差別」とみなされることがある。

職業・階級・身分に関するもの(「上級国民」、「穢多」、「非人」、「酋長」、「賤民」、「ポリ公」、「木っ端役人」、「乞食」、「ルンペン」、「よつ」、「雲助」、「坊主」、「ポンコツ屋」、「ニコヨン」、「百姓・どん百姓」、「山猿」、「土方(どかた)・ドカチン」、「旗振り・立ちんぼ」、「隠亡屋」、「お水」、「汚穢屋」、「汲み取り屋」、「バタ屋」、「ゴミ屋」、「株屋」、「犬殺し(野犬捕獲員)[4]」、「人夫[4]」、「高卒」、「中卒」、「ナマポ[注釈 2]」など)

例えば、「この乞食野郎!」という台詞は、「差別発言」でもあり、かつ「悪口」として発言するような場面も容易に想像できる。
だから、ひろゆき氏がそもそも「悪口」と「差別発言」を峻別して、二者択一ということを前提としているような主張をしていることに違和感を覚えるなと思っていたところだった。
ちなみに、日本国憲法において許されない差別として下記のように規定されている。

第十四条 すべて国民は、法の下に平等であつて、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない。

憲法は置いておいて、私人間においても差別的発言が不法行為になることがあり、損害賠償義務を負う場合がある。
例えば、「Aの悩みは女性特有の悩みであるから精神科へ行くようにという差別的発言をした」という理由から、不法行為を認めて損害賠償請求を認めた事例がある(大阪地判平成14年4月12日)。
この事例は、「女性」という性別に着目した「差別発言」であると同時に、Aさんがこのような悩みを抱いていたことに対する「悪口」でもある。実際に、判決では「侮辱的発言」とも指摘されており、侮辱罪における侮辱が「無能」「バカ」「ブス」といった「悪口」に該当すると同時に、そのやり方が「差別的発言」という方法を使ってなされた事例だといえる。

ひろゆき氏は「悪口と差別発言は違う」と主張しているということであるが、そうすると、

それは悪口だから差別発言じゃない!!

みたいなことを言っちゃうのか?
おそらくそのようなことは言わないだろう。
しかし、だとすると、「悪口と差別発言は違う」と言ったところで、それはここでは何の問題解決には役に立たない主張だろう。
ニュースで報じられている事実は、「差別発言」でもあり「悪口」でもある場合の問題だろう。
ひろゆき氏は、「それはこういう意味に決まってるでしょ」という都合の良い解釈を持ってくることができるのかな?

悪口で、日本人に対する差別の意図はない

という発言からすると、やはり「悪口」は「差別」ではないとでも考えている様子。
上記の裁判例のとおり、性別に着目した「差別発言」かつ「悪口」というものはあることは明らか。
また、「日本人に対する差別の意図はない」という理由で「差別発言」にならないというわけでもない。
さらに、「悪口」だから「差別発言」にはならない、ということでもない。
「悪口」だから「差別発言」ではないということをひろゆき氏は説明できないだろう。それが可能だとすると、「悪口」の定義には「差別発言」が含まれないということになる。しかし、上記の具体例からも明らかなように、そんなことはあり得ないし、仮にそうだとしてもただの言葉遊びに過ぎず、問題の実質とかけ離れるだけだ。

と、当初からこの問題に対するひろゆき氏の発言には違和感しかなかった。
その違和感の理由がはっきりしてきたということだろう。
よかったよかった。

追記

フランスのマクロン大統領が当選したときにputainと言ってる動画。
フランス人は普通に使う言葉なのに、「おかしい」と日本人が決めつけてるのが滑稽だなぁ。。と。

>普段そんな極めて下品な言葉を使う英語人やフランス語人と付き合っていないF爺には、判断できません
Best of d'Emmanuel Macron ! 2020 - YouTube

ひろゆき氏のフォロワーが「大統領選の時の」ものという紹介がなされた動画。したがって、マクロン大統領が当選したときに発言した動画ではない。
大統領が酷い言葉を発しているということでMAD化された動画であり、動画の意図としては「大統領がこんな言葉連呼していいのかよ笑」って感じの動画であり、「フランス人が普通に使う言葉」としての動画とは到底いえない。
そういった動画の趣旨を誤解したまま、「フランス人は普通に使う言葉」と決めつけて、事実と異なる情報を発信した日本人のひろゆき氏が、「滑稽だなぁ。。と。」とつぶやいていて、「それおまえやん!」っていうツッコミをさせる高等技術に接した。
ツッコミどころが多いので、そういった娯楽の提供をしているんだろう。
だから、削除してなかったことにするなんて姑息なことはしないだろうな。

学問の自由。の巻

まいどでーす

にーやん弁護士です。

2年目も後半なのに、まったく弁護士っぽくないまま変わらずやってます。

diamond.jp
このニュース


違和感しかない。

「学問の自由」って意味を知らないまま、適当に報道している報道機関多過ぎじゃないか?
個人的には選ばれなかった先生の中にお世話になった先生がいて、かわいそうなことになったなと思ったけれど。
しかし、「学問の自由」とは別の話。
「学問の自由」って問題にしてるやつはいったい誰なのか?
憲法を勉強したことないんじゃないか?

こういう感覚のにーやんは古いのかなぁ?

そもそも、選ばれなかった人の学問の自由は何ら制約されていない。
10億の税金使って研究する自由が国民全員に認められているわけでもない。

しかも、これまで推薦された名簿を任命していたという「事実上の慣習」があったに過ぎない。
「任命権」があるということは、任命する権利があるということであって、任命する義務を負うわけではない
というのが一般の理解だと、少なくとも法律的には思うわけで。
数名任命しなかっただけで、その権利を濫用したことになるのだろうか?
まぁ理由によるという意見もあるのかも。
ただ、こういうのって広範な裁量権が認められるわけで、その裁量権行使についておかしい部分があるというのであれば、
そこをメディアは報道してほしいわ。

ただ、「任命しなかった」という事実だけを問題にしているようじゃメディアの存在価値なし。
挙げ句、「学問の自由」っていうのを言いたがる記者は、「学問の自由」の意味を理解しているのだろうか?

政権批判はしないと駄目だけれど、そこをちゃんと理解しないままだと、明後日の方向にいってて、世論を正しい方向に導くということはできない。
これまで慣習で任命してきたこと自体がおかしかったかもしれないのに、そこはスルーですか?
学問の世界では、師弟関係が強い。少なくとも法律の世界なんかめっちゃそうだ。
団藤先生の弟子か平野先生の弟子かで、めっちゃ意識してたはず。
まぁそれはいいや。

話を戻すと、要するに、この問題は、適材適所って話かなと思う。
その任命権者がいて、それは日本の内閣総理大臣
内閣総理大臣が日本の未来を考えて、適切ではないと思った学者を政府機関の人材として採用しなかったとしても、それなりの理由があるのならば仕方ない。
理由が、「糞左翼だから駄目」とかいうことなら説得力がないけれども、それなりに正当な理由があれば十分。

仮に、「この人が○○とか言ってたりして国益を損なう。だから任命しなかった」と総理大臣が言えば、逆にその学者はバッシングにあう可能性すらある。
そういう配慮の下、理由については控えるというのもあり得る。

こういったことを議論してみればいいのに、ただなんとなく「学問の自由」とか言うメディアは、むしろ憲法がいう「学問の自由」を勉強した上で、きちんとどう学問の自由の制約になるのかを説明すべきだろう。
そもそも、国民の中にどれだけ「学問の自由」と「教育の自由」の異同について理解しているのか怪しい中、これらの意味について考えるきっかけになったことはいいことだ。
学問の自由について復習しよ。

ちなみに、これを表現の自由とか言論の自由弾圧につながるとか言ってる人がいるわけですが、憲法の論文試験でそんな答案を作成するとどう評価されるのか?
考えるとおもしろい問題

15年勉強した弁護士1年半ほどの振り返っての司法試験。の巻

にーやんです。

1人弁護士が抜けるとやっぱり忙しい。

というか、やっかいな事件が多いからかな?


今日は、実務家として弁護士になって1年半過ぎた今、司法試験対策をどうすべきだったかという反省をしようと思う。

今さらかよ!!!!

と、思うことも多いけれど、むしろ今だからこうしておけば十分だったなということがたくさんあると思ったので。

今、思うことは、時間の使い方。
今事件は60~70くらいあって、まぁ忙しいのはそのうち半分か3分の1くらい。
残りは時間をうまくつかってまわせそう。

ただ、30件くらい事件があってそのうち裁判員裁判とか、ソフトウェア開発訴訟とかの専門訴訟とかもあって
あと後遺障害の重いやつ。
本人確認の犯収法は明日までやらないと!
結構大変。

で、司法試験に戻ると、司法試験は対策科目多いけれど、今やってることより全然少ない。


そこで、一番言いたかったことというのは、


やり過ぎに注意!!!!!!!


何をやり過ぎに注意かというと、難問にのめり込まないという注意。
例えば、憲法の論文とか。
あんなもん100年やったからって1位にはならないから。
というのも、出題者も考査委員も、憲法の正解について共通認識ができてないから。
だから、青○とかいう黒歴史がある。
学者一人に頼りすぎの弊害が憲法

逆に、刑訴とか刑法とか、刑事系は安定している。難しいけれど、一応の答え、つまり正解とされるものの共通認識はできている。
だから、刑事系は対策しやすい。

ここで見えてくることは、対策しにくいものに時間をかけすぎるなということ。

費用対効果
仕事も一緒
お金にならないことも弁護士になったら頑張らないとダメだから違う部分もあるけれども。
司法試験に関して言えば、

① 点数取りやすいものに力を入れる
② 点数取りにくいもには守り抜くだけ必要最小限の努力にとどめる。ただし、合格点は確保する

という2点を徹底してやる。
例えば、択一。
択一はやればやるほど点数は伸びる。
ただ、ある程度やればそれ以上伸びない。
それが択一。
今年は結構難しかったものもあったと思うけれど、それでもある程度やってたら、相対的に上位になる。

そう。相対的に上位になる、ってのが大事。

相対的に上位になるというのは、敵を知り、対策を頑張って講じれば必ずなれる。
その科目をそろえるということ。
これで合格間違いなし。

失敗している受験生を知るというのは、この逆のことやってるから。
勉強にはまってしまうのも一例。
難問について調べまくって、学者以上に論文とか基本書を読みあさる。
そんな時間あるなら、他の科目に時間つかって50点上げろ。
そういうツッコミをされる人は、要注意。
そんなマニアは試験に10年経っても合格できません。
断言できます。
なぜなら、私がそうだったから。

そんな無駄な努力を考えると、今のほうが楽なこともある。
修士論文よりも楽。大判は調べることはしれてるから。
司法試験に至っては、もっと楽。
なぜなら、知識は通説・判例だけでいいから。
論点について通説・判例をまんべんなく網羅しておけば、それだけで合格できます。
論文では、その通説・判例をいかに知ってますアピールして、事実を読み解いて、うまく判例・通説にのっかって作成してまるアピールができれば上位答案になる。
最上位答案は難しいが、上位答案はそんな当たり前のことを当たり前にできるようにアピールできればいい。

だから、簡単ではないけれど、難しいわけではない。

むしろ、あとは努力。

例えば、判例の事実を把握して、論点を把握して、その解決方法として、法令をどう解釈して適用しているのかという知識があれば、それを前提に問題を解いていけばいいのだから。
そして、そういうことをやらせようという論点や主要判例は限られる。

過去問をみてそこを知れば、あとは対策すればいい。事実、論点、解釈適用
こういう視点から、大枠としてきちんと勉強する。
木を見て森を見ず
と言う言葉は司法試験業界でも昔から言われている。それがこういう意味だ。

結論

難問に執着して、簡単な問題の知識を見逃すな

頑張ってね!

三振して合計5回目の司法試験に合格できたにーやんからのメッセージ

はいはいはい
超お久しぶりです。

弁護士のにーやんです。

弁護士になって1年半が過ぎ、色々ありました。
一発目の国選が否認事件で、しかも1年弱も続いたり
研修できないまま裁判員裁判をやらざるを得ないことになったり
普通に民事事件もたくさんやってます。
親権変更とか養子縁組とか、うちの事務所としてはレアなのもやったり、色々経験させて頂いてます。
まぁ色々やってます。
そんなどうでもいいにーやんの近況は置いておいて、今回、声を大にして叫びたいこと。
それは、

コロナ渦での司法試験について!

今年は、コロナという超イレギュラーな事態で、司法試験もその対応に追われているとのこと。
今年5回目受験の友人の情報によると、試験会場で体温チェックして、熱があると受験できないとか。
問題は、体温チェックでひっかかって受験できなくなると、今年の受験はもうできないだけでなく、1回分の試験チャンスを失うという。


まじかー!!!!!

bengo4.com


どうやら本当みたいだ。
でも、こんな酷い話はない。

5回目の受験生は体温チェックにひっかかると受験すらさせてもらえないまま失権してしまう。

こんな酷い話はない。

集団訴訟になったら是非参加しようと思います。

三振して、予備試験も5回くらい受けて、新司法試験になって5回チャレンジしてやっと合格したにーやんですので、そんな失権の仕方を万が一するとなれば納得いかない気持ちは誰よりも理解できると思います。
明日から司法試験を行うみたいだけれども、色々大丈夫なのか心配になる。

しかし、やる以上は、基本的に同じ条件でやるわけなので、その中で頑張るしかないので、あれこれ考えずに受験生には頑張ってもらいたい。
そして、このブログ見てる人には是非受かってほしい。
こんなブログ見てる人はいっぱいいっぱいな人に決まってるのである(爆)
そんなブログ閲覧者に対するメッセージ
主に受験回数5回目の人に向けて

司法試験なんて今思えば目指すべきじゃなかった、と思う人もいるかもしれない。
だけれど、この道に足を突っ込んだのだから、合格するしかない。
そして、司法試験は頑張れば誰でも絶対に受かる!

正確に言えば、正しい試験対策を誰よりも頑張れば、いつか絶対に受かる試験、それが司法試験なのである。
仮に5回目不合格であったとしても、二度と司法試験にチャレンジできなくなったわけではない。
もう1度司法試験にチャレンジしようと思えばできる制度になっている。
その選択肢がもう1度ロースクールに行くのか、予備試験頑張って合格するのかは別として制度上二度と試験に受けられなくなるわけではない。
だから、不合格になったときのことを考える必要はない。

今は、ただこれまで頑張って勉強した知識、経験を司法試験にぶつければいい。
要するに、今すべきこと、今考えるべきことだけに集中することが大事だろいうこと。
後のことは後のこと。そんなことは今考えないでいい。
司法試験に受かること、受かるために必要なことだけやる。少なくとも試験が終わるまで。

5回目の人はかなり色々考えてしまう。だから、こういう当たり前のことを当たり前にやることがなかなかできなかったりする。
しかし、それで不合格になってしまうというのは本末転倒。
自分を信じることが大事。
1回目の受験生よりも5回目の受験生のほうが知識はあるはずなのだから、自信を持ちましょう。
勝負は論文。論文試験で他の人より差をつけられればいい。そういう発想で頑張って。
注意すべきは、他の人より差をつける、ということは他の人と違うことを書くということではないということ。
他の人より差をつける、というのは、他の人が気づく論点、書くことを内容的に他の人より厚く、かつ、素早く書いて、時間を有効に使うということ。
これができるだけで論文の点数は各科目上位20%~30%くらいには行くはず。これでもう合格できるはず。
もちろん、的確に問題の趣旨を捉えて回答するということはなかなか難しい。
予備校も色々回答に悩むくらいの問題が出題されることもある。
しかし、これは問題が悪いのであって、こういう問題にであった場合にこそ、他の大多数の人が書くことをイメージしましょう。その大多数の中で書き負けなければ点数的には痛手にはならないはず。

悪問にひっかかる、ということは時間の無駄。
過去に「法定債権」という言葉が民法の試験に出てきたけれど、そもそも法定債権という言葉を知らないとダメな出題方法で、実務家でも知らない先生は多かった悪問といえる(この問題は問題自体が悪問ではなく、出題方法が悪問)。
しかし、その漢字の意味から想定することはできるので、そうやって対応した受験生も多かった。
わからない問題が出ても焦らず、自分の持っている法知識を最大限活かして、他の受験生に書き負けないことが大事。
こんなふうに、他の受験生よりも少しでも上位になれるよう守り切ることが大事。つまり、「守り切る答案」を作る作業に集中することが合格するために大事なこと。
合格することは、「守り切る答案」を揃えることにある、とにーやんは考えている。
これは、合格ということに執着した考え方であって、上位合格者の思考ではない。
しかし、5回目の受験者にとって最も優先させなければならないことは合格することだと思うので、あえて強調しました。

わからない問題が出たからといってそこに時間をかけすぎないとか、点数配分の多いところは論点をできるだけ網羅して書き負けないように頑張るとか。
これと逆のことをして、今年の司法試験に失敗するということがないように、頑張ってほしい。

悔いの残らない試験にして欲しいと思い、久しぶりにブログを更新しました。

15年ほど大変な受験生活をしてきたけれど、今は弁護士としてそれはそれで大変な毎日だけれど、充実しています。
試験勉強は合格する手段です。
明日から、目的を達成する本番になります。
他の受験生に負けないよう頑張って書き切りましょう!
地獄の試験だけれど、最後まで乗り切ってください!
にーやんは頑張っている受験生を全力で応援してます!
良い報告をお待ちしております!