にーやんのブログ

三振したにーやんが再ローを経て司法試験に合格した弁護士の物語である

真実を求める刑事弁護人。の巻

まいどでーす

いつも元気なにーやんです。

明日は司法試験合格発表ですね。
去年不合格だった友人が受かることを願ってます。

ところで,今日は実務修習を経て思う刑事訴訟手続一般について。
証拠上は無罪の可能性。
しかし,被告人は弁護人に事実としてはやったと罪を告白。
そんなときって,どんな弁護方針をとるべきか?

まぁ弁護士倫理みたいな話。

弁護人としては,やはり証拠上無罪である以上,無罪を主張すべきか。
でも,真実に到達できなかったのは弁護人の責任ではない。
挙証責任を負っているのは検察官。
そして,証拠収集が不十分だったのは警察の責任でもある。
公権力を行使して証拠を集める権限がある警察,検察の責任は重い。

これって正義じゃない感じもするけれど,結局挙証責任によって確信に至らない以上,罪を認めることはできない。
「疑わしきは被告人の利益に」の原則がこれ。
こんな制度がある理由というのは,簡単にいえば冤罪防止。
疑わしい人の中には罪を犯した人だけではなく,罪を犯していない人もいる。
罪を犯した人ならば刑を科してもかまわないとはいえ,罪を犯していない人には絶対に刑を科すことはしてはならない。
無実の人に刑を科すという人権侵害は絶対に許されない。
だから,罪を犯した人かもしれないけれども,罪を犯していない人の可能性がある以上は罪に問えないという建前をルール化したのが,「疑わしきは被告人の利益に」の原則。
だから,弁護士としては,証拠上無罪である以上は,罪を犯していない人として考える必要がある。
本人がやったと言ったからといって,本当にやったかはわからない。真犯人をかばっている可能性もある。

だから,弁護士は証拠上は無罪の可能性があると考えれば,無罪の主張をする。
これは役割としてもそうすべき。
検察官が有罪の挙証責任を負う。犯罪事実の存在という積極的に真実を明らかにする役割が検察官にあると言い換えることができる。
逆に,弁護士は,真偽不明,合理的な疑いをいれる余地があるという場合には,消極的に真実を追求するという立場にあるということができる。

要するに,役割の違いはあるが,真実追求という点では同じだと思う。積極か消極かの違いだけで。

修習の事実認定的にいえば,反対仮説の可能性の検討ってところか?
色んな先生のお話を聞くと,そういうことを考えたりする事案もあるようで,なるほどなと色々と考えさせられる。

こういう弁護人の仕事ってやっぱり世間じゃ理解してもらえないんだろうなと。
他方,誰かがやらないといけないという思いからこういったことを頑張る弁護士ってやっぱりかっこいいなとも思う今日この頃。

明日も修習頑張りまーす。