にーやんのブログ

三振したにーやんが再ローを経て司法試験に合格した物語である

台風でも選挙は行こう!の巻

まいどです。

にーやんです

今週は怒濤の1週間でした(汗)
大阪で1つ目のロースクールの友だち(弁護士5~7年目)にお祝いして頂いたり、ローの先生に話の流れで自分の体験談をお話しにロースクールに行ったり、たくさんのことを経験した1週間でした。
この1カ月でめっちゃデブに(汗)

今日は選挙だったし、色々、書きたいこともあるけれど、明日からまた朝から名古屋、東京と忙しい。
体力の衰えを実感しているところ。

選挙も大変やったね。台風やったし。小生は期日前投票だったけれど。
そういえば、立憲民主党が予想以上に伸びてて、民主党民進党のような雑種的な集団ではなく良い意味でリベラルに純化した政党として国民の期待が大きかったのかなと思いました(自分は立憲民主党を支持しなかったけれど)。
dot.asahi.com
維新や希望は、自民党に近いものとして真の野党とはいえないと思った人がいたのかもしれない。
とはいえ、結局、自民党が前回同様の大勝利だったということは、自民党に対抗できる野党がなくて、野党はしょぼいということを意味しているのかもしれない。
野党は人格攻撃や文句だけではなく、より良い政策・代替案を出すみたいなことをしてほしいなぁ。

そうそう、期日前投票で知ったのだけれど、「支持政党なし」という政党があって、ニュースでは聞いていたけれど、本当に酷い。
完全に詐欺師のような票の取り方ですやん(汗)

なんかそういうこととか、色々と考えてて、書きたいことたくさんあるんだけど、今日は寝ます。

ロースクールの選び方。の巻

元気ですか?

にーやんです

今日は、再ローを考えている人の参考として、ロースクールの教員についての個人的な感想を書こうかなと。
というのも、ロースクールを二回行った小生の実感として、やっぱりロースクールによって教育環境が違ってて、試験勉強のしやすさとか色々と、これからロースクールに行く人にとって参考になることもあるかもしれないので(ないかもしれない)。

小生の経験上、ロースクールの教員の中でも、特に司法試験の委員をやってた人は、どこのロースクールでも概ね人気。
例外的にたまにそうじゃないパターンもあるかもしれないけれど、それは相当教え方が下手なんだろう(自分の経験ではそういう先生はいなかった)。
司法試験委員やってた人はただ知識があるだけではなく、出題のポイントなんかも熟知しているから、どういう部分が重要とされるのかっていう傾向もたぶんよくわかってて、だから受験生の求めるものと一致するのは必然。
きっとそういう理由もあって、人気なんだろう。

というわけで、ロースクールに行くなら、司法試験委員(経験者)が多いところが絶対にいい。

中央なんかは東大学者が定年を経て集まってるのもあって、いい先生がそろっているんじゃないかなぁ?
近年では刑法の大家、井田先生(イケメン)がいるし、最高でしょう。
小生はずっと前田結果無価値で勉強して、最近、山口先生の基本書や橋爪先生、佐伯先生なんかの法教連載を読むくらいで、まだまだ井田学説をマスターしていないので、また勉強しようかなと。

脱線しますが、最近、中古の学者本を買いあさるのが趣味で(こんなことしてるからなかなか受からなかったんだろう)、論点講義シリーズの刑法各論を購入。ケーススタディ刑法も。
両書ともケースメソッドで、抽象的な議論が多い部分も具体例を通じて理解できるので、試験対策にも有効だろうなと。

刑法各論 第2版 (新・論点講義シリーズ 2)

刑法各論 第2版 (新・論点講義シリーズ 2)

ケーススタディ刑法 第4版

ケーススタディ刑法 第4版

そういえば、井田先生が法学教室で連載していた「ゼロからスタート大刑法 “超” 入門講義」は結構読んでて、これが「入門」と言っているけれども、めちゃくちゃ参考になる!
今は書籍化されて「入門刑法学」となって出版されているけれど、超おすすめ。初学者だけではなく、中上級にも参考になることがいっぱい。
しかも、書籍化にあたって法教の叙述と異なる部分もあり、かなり工夫されたんだろうなということもうかがえます。

入門刑法学・総論 (法学教室ライブラリィ)

入門刑法学・総論 (法学教室ライブラリィ)

入門刑法学・各論 (法学教室ライブラリィ)

入門刑法学・各論 (法学教室ライブラリィ)


おっと閑話休題

あと、やっぱり実務家教員が充実しているところに行ったほうが良い。
司法試験を合格しており、試験対策という視点から教えるので、やはり受験生の求めるものと一致する。

二回目のロースクールで、一回目よりも実務家教員が充実していたのは良かったと思いました。
中には受験生よりも試験対策している教員もいて、さすがだなと関心しました。
その先生は過去問を時間を計ってちゃんと答案作成したりしてました。教員があの苦労を理解しているというのは、かなり大きいんでしょう。試験の感覚からどう書くべきかということを意識してました。

また脱線ですが、ロースクールが崩壊の危機とか言われたりする昨今、ロースクール制度がダメというのはちょっと違うんじゃないかと思います。
法曹を養成するための教育に特化してきちんとやっているところはやはり合格率も良いし、そのことをちゃんと理解できているロースクールは法曹を目指す者にとって素晴らしい教育環境です(まぁ2~3年でそれをやり遂げるのはなかなか難しいと思うけれど……)。
ロースクールが始まって三期の既修で一回目のロー生活をした経験から言えば、法曹を養成する、実務家にとって必要なことを教える、そういったことが教員の意識としてまだまだ希薄だった教員もいました。
学部と法科大学院では、法律を教えるといっても、その実質はまったく違うということです。
法学研究科の修士課程も行っていた小生はそのことはとても実感しました。
中央大学の実務家出身の憲法学者である棟居先生の「学説はゴミ、判例は神」という言葉が象徴しているように(まぁ言い過ぎと思いますが笑)、研究者は判例を批判の対象と捉える傾向があった。
司法試験は学者を養成する試験ではないので、超偉い先生の提唱する有力説を知っているかどうかは問題じゃないし、それで合否が分かれることはない(もちろんそういう偉い先生の考えが司法試験で参考にはなることも少なくない)。
今の司法試験の問題を合格者レベルで解けるようにするには、まず判例・通説。そして、要件の的確な当てはめ(加えて、答案の書き方なんかもあるが、それは自分自身で確立するものだと思う)。
主要論点において、そういうことを教えるだけでもロースクールの授業だけでは時間が足りないのが現状だろう。
ましてや、学者の自説(1人説)を唱えている暇はない。

もっとも、本来の大学という機関は研究機関であって、従来からある修士・博士課程なんかがそう。法学部も同様に本来は研究者を養成するためのもの。
研究においては、必然的に学者の論文や個々の考え方の当否を検討することが中心になる。
判例はその土台。問題提起のきっかけに過ぎないとみる学者が一昔前では普通だったんじゃなぁ。

ただ、ロースクールが始まって、法学者も判例・実務を批判対象だけではなく、その価値を重視しだしたんじゃないかなと。
もちろん、これまでも判例を無視してたわけじゃなく、むしろ刑事系なんかは判例の考え方を重視してた部分も大きい。

この変化が顕著なのは憲法だろう。
昔の主要判例も「今までの理解おかしくね?読み方ちがくね?」のような。森林法違憲判決のあれとか。

何が言いたいのかというと、ロースクールによっては、旧態依然の法学部の延長で教えていた学者もいたということ。そしてそれは、司法試験対策という観点からは有害になることもある。
というのも、実務家はやっぱり法律という明確な絶対的なルールに従う。そして、学説がなんと言おうとも、それが最高裁判例に反するものはまず相手にしない。
というと、少数説で頑張る先生には、「将来変更される可能性がある!」と鼻息を荒げて顔真っ赤にする先生もいました。まったくもってその通りです。
特に近年の違憲判決に顕著で、例えば女性の再婚禁止期間の違憲判決なんかはこれまで憲法民法双方の学者から判例批判されてきたもので、まったくもって正当な主張だった。

ただ、判例変更のような実務において超例外的なことは司法試験に合格してから考える最先端な問題(上述の再婚禁止期間のように従来から判例と通説が対立している問題もあるけれど)。司法試験合格のさらに上のレベルなんじゃないかなと。
やはり、判例ルールが確立してたりすると、それで実務だったりして、そこを理解できていないのは話にならないだろう。
いくらローマ法からの意思表示理論は間違いで、二元説を採用する動機の錯誤がおかしいとか言っても、相手にされない(個人的には二元説に対する批判の多くが適切なものだと思うが)。
完全に確立しちゃってて、判例変更することなく問題なく実務は運用されているから。

そういう論点に関しては、やはり判例のルールを教えるのが実務家登用試験に合格できるように教育するロースクールの先生の第1の役割なんだろうなと。
判例の立場が明確じゃないものも少なくない。そこで出てくるのが通説の理解。
司法試験も、判例・通説に従って解くように作られているのはそういうことなんじゃないかと。

刑法の問題で、現行刑法においては共謀共同正犯の理論を採用することは罪刑法定主義の見地からできない、なんてことを書いちゃうと、もう当てはめの点数は皆無。もうボロボロ。
関西にはまだまだ根強い共謀共同正犯否定論?
学者の頭ではきっと正しい考えだろうし、条文からすると素直かもしれない。
だからといって、そういうことをロースクールでお勧めしちゃうと、特に未修の人はかなり可哀想なことになってしまう。
さすがにロースクールでそういう先生はいない(少なくとも自分が教えてもらった先生は)。

具体的事実の錯誤でも、判例は法定符合説が確立しているけれど、学説では具体的符合説が極めて有力。
具体的符合説の考え方は参考になるし、教えるべきではないとは決して思いません。
しかし、法定符合説からなる判例の立場をしっかりと理解した上で、または理解するために具体的符合説の考え方は参考にとどめるべき。
というのも、具体的符合説でも事案によっては符合を認める立場と認めない立場があって、そういう面倒くさいことも含めてきちんと理解しておかないと、答案でかなり適当な当てはめになりかねないから。
そして、そういう面倒なことを分量を割いて論じたところで点数に差は生じないので、試験対策的にメリットなし。

実際、一回目のロースクールでは偉い先生が具体的符合説を推していて、未修の人はその先生に教わり、その先生の教科書を使って勉強していたため、まじめで優秀な未修の人ほど具体的符合説を自説としていました。
繰り返しますが、それが絶対にダメということではありません。判例を理解した上で、時間的余裕のない刑法で具体的符合説に立って説得的に書ける自信があれば、まったく問題ないでしょう。
ただ、全科目そういうことやってたら、勉強時間がいくらあっても足りないんじゃないかなと、小生のような凡人は思うわけです。
答案もうまく当てはめできるのだろうかと。

そういう努力よりも、判例の立場を前提として、限界事例を考えたり、射程を考えたりしたほうが、実務家登用試験の対策としては意義ある勉強かなと。
確立した判例があるのに、それに反する学説を言い出して問題を解決しようとするのは、なんか問題を正面から解決しないで逃げてるような感じもします。
研究者も一時期考えていた小生にとっては、そういう考え・学説の重要性は否定しませんが、やっぱり実務において使えるものでなければ無意味かなとも思うようになりました。
例えば、山中敬一先生の客観的帰属論。いや、これ以上はやめておこう。
ちなみに、山中先生のぶっとい刑法総論と「刑法における客観的帰属の理論」は因果関係に関する部分をざっと読みました。きっついです。類型化は手段であって、目的ではな……いや、これ以上はやめとこう。

刑法って実は奥が深いため、司法試験の対策としてはある程度割り切ることが必要な科目。
残念ながら学問としては深入りしないのが司法試験対策のポイントだったりする。

そう考えると、刑法の先生はロースクールの授業はあまりおもしろくないかも(汗)

まぁ以上をまとめると、やっぱり上位ローの試験委員(経験者含む)の多いロースクールを目指すのが無難だなと。
奨学金目当てで下位ローに再ローで行って合格した人も知っているので、経済面も考える人もいると思いますが、合格だけを目的とするなら、やっぱり一橋!そして、東大、京大。私立だと、慶應、早稲田、中央といったところが良いロースクールだと思います。

小生のような再ロー生も最近では少なくないと思うので、参考になれば幸いです。

「口頭弁論終結後の承継人」に前訴の既判力が及ぶ意味。の巻

まいどでーす。

にーやんです。

この前、民訴の既判力について質問されて、話をしていたんだけれど、なんかかみ合わない。

口頭弁論終結後の承継人に既判力が及ぶってことの意味について
例えば、こんなケース

 XがYに対して、土地甲の所有権の確認の訴え(前訴)を提起して、Xが勝訴した。この判決が確定した後、Yが死亡しZが相続人となった。Zは、Xに対して土地甲の所有権確認の訴え(後訴)をした。前訴の既判力は後訴でどう作用するか?

民訴法115条1項3号で当事者の「口頭弁論終結後の承継人」は確定判決の効力を有すると定められている。これは、既判力が当事者の「口頭弁論終結後の承継人」に拡張されることを意味するものと解されている。
上記のケースでは、Zは前訴の口頭弁論終結後にYを相続することによってYの権利義務を包括承継しており、前訴当事者であるYの「口頭弁論終結後の承継人」であることに争いはない。
したがって、前訴の既判力はYに拡張される。

ここまでが115条1項3号で定めていること。

で、拡張される既判力の具体的内容はどういうものか?
質問者はこう答える。
「Zに前訴の既判力が拡張されるので、Zが土地甲の所有権が自己にあると主張することはできない」

これはこれで正しい。

そこで、既判力の作用としては3つのうちどれに当たるのか?
って聞くと、うまく説明できない。

まぁ口頭弁論終結後の承継人の既判力の作用の在り方まできちんと書いている教科書ってないからかもしれないけれど、既判力の作用についてきちんと理解していたらわかるはず。
上記ケースについて、林家礼二先生の「新民事訴訟法概説」の461頁には次のように書かれてある。

 XがYを相手にして、ある土地の所有権確認の訴えを起こし、X勝訴の判決が確定したときには、その後にYの死亡によって相続人となったZが、右の土地の所有権を争ってXを相手に所有権確認の訴えを起こしても、前訴の口頭弁論終結時においてXが当該土地の所有権をもっていたとの裁判所の判断をZが争うことはできないことになる。

民訴法115条1項3号が定める当事者の「口頭弁論終結後の承継人」に既判力が拡張される説明として、必要十分な秀逸な説明だ。
もう少し順を追って確認してみよう。

まず、既判力の作用の復習。
上記ケースでYが死亡していない場合で、後訴でYがXに対して土地甲の所有権確認の訴えを提起した場合を考えればいい。
この場合、一物一権主義を介して後訴の訴訟物は前訴と矛盾関係になる。
基本の確認だけれど、実体法上、物権は一物一権主義が妥当し、同一内容の物権が複数人に成立することはない。基準時において土地甲の所有権がXにあるという判断と土地甲の所有権がYにあるという判断は、一物一権主義の考えからすると両立することはない。これが債権と違うところでもある(例えば、同一の貸金債権を複数人に譲渡して複数の譲受人が同一内容の債権を有することがありうる)。

民訴法115条1項3号で当事者の「口頭弁論終結後の承継人」に前訴の既判力が及ぶという場面も同じように考えればいい。

  1. まず、前訴の訴訟物に対する判断、すなわちXに甲土地の所有権があるという判断について既判力が生じる。
  2. 次に、この既判力が「口頭弁論終結後の承継人」であるZについても及ぶ。その結果、前訴の基準時におけるXに甲土地の所有権があるという判断と、これを争い前訴の基準時においてYに甲土地の所有権があり、それを相続によってZが取得したと主張することは、上述のとおり、一物一権主義を媒介に後訴の訴訟物は前訴と矛盾関係となるため、前訴の既判力に反するということになる。

したがって、Zの主張は認められず後訴は棄却されることになる。

もちろん、常にそうなるというわけではなく、既判力が後訴に及ぶというのは、基準時における土地甲のX所有にとどまるので、基準時後にX→A→Zと順次譲渡されたといったことを理由に後訴を提起する場合には、前訴の既判力に反するわけではない。これは、当事者間における既判力の作用する場面でも変らない話。

承継人に当たる基準などの論点の多い「口頭弁論終結後の承継人」だけれど、こういう基本をまず押えておかないと、ちゃんと当てはめできない。
民法なんかは総則の理解は各論の理解がなければ正確に理解できない部分もあって、各規定が有機的に関連しているというのはなんとなくわかるかもしれないけれど、民訴法も同じで、既判力が拡張されるという場合、当事者間における既判力の作用という基本事項との関連性を把握する必要がある。

まぁこう考えれば当たり前だし、難しくない話だけれど、各論点だけ暗記していて、基本が関連付けられていないとよくわからなくなって混乱することもある。特に司法試験ってそういう問題が少なくない。

基本ってやっぱり大事なんだなぁと、勉強になりました。

関ジャニ∞のコンサートチケットを盗んだ者からチケットを取り戻しても無罪?の巻

まいどでーす。

にーやんです。

いきなりですが、小生は法学教室が好きです。

各記事が長くても10ページくらいというのもあるけれど、難しい内容でも法学教室なら読みやすいと感じるのは小生だけでしょうか?

まぁいいや。

デデン!!
問題です。
■問題1

関ジャニ∞が東京ドームでのコンサートを直前に控えた段階で、そのチケット有するAからXがチケットを窃取した。この事情を知っているYが、Xから10万円支払ってそのチケットをゲットした。X及びYの罪責を述べよ。

正解は、Xは窃盗罪、Yは盗品等有償譲受け罪。

では、次の問題
■問題2

関ジャニ∞が東京ドームでのコンサートを直前に控えた段階で、そのチケット有するAからXがチケットを窃取した。被害者Aは、Bを介してXから10万円支払ってそのチケットを取り戻した。Aの罪責を述べよ。

法学教室で連載の橋爪先生の「刑法各論の悩みどころ」でこの問題について触れられていた。
法教443号108頁には以下のように書かれている。

 この点については,やはり被害者本人による取戻行為は,いかなる場合であっても盗品等関与罪を構成しないという理解から出発せざるを得ないと思われる。(問題2の)場合,被害者の意思決定は自由で任意な判断とはいえないし,犯人グループが暴利をむさぼっていることも否定できない。しかし,被害者自らが10万円を支払って,チケットを取り戻す行為は,盗品等関与罪を構成することはない。これは被害者の同意の問題として解決すべきではなく,被害者はおよそ盗品等関与罪の主体たり得ないという構成要件解釈の問題として理解すべきであろう。

被害者の追求権を保護法益と考えると、追求権を侵害しない、つまり法益侵害のない被害者による取戻し行為について盗品関与罪は成立しない。
ということで、Aは無罪。
盗品等関与罪において刑法242条は準用されていないので、法は被害者自身による取戻し行為としてなされた譲受等は無罪ということを前提としているといえるかもしれない。

では、問題2において、AがBにXからチケットを取り返す旨を依頼して、Bが10万円支払ってチケットをXから取り戻してもらった場合、Bはどうなるか?
この点については、次のように指摘されている。

 そして,被害者が不可罰である以上,被害者からの依頼を受けて,もっぱら被害者のために行為する第三者についても,被害者の不可罰性が拡張的に援用されて,盗品等関与罪については不可罰にとどまると解する余地があるように思われる。具体的には,被害者からの委託を受けて,被害者の具体的意思の範囲内で行動する場合については,対価の支払いの有無に関わらず,盗品等関与罪の成立が否定されるべきであろう。昭和27年判例が「被害者のため」か「窃盗犯人の利益のため」かを問題にしていることも,このような観点から解釈する余地があるように思われる。

以上からすると、被害者ではないBが10万円支払ってチケットをXから取り戻すという有償譲受け行為をしても、Bには盗品等有償譲受け罪は成立しないという解釈の余地がある。
被害者に返還するためになされた有償処分のあっせん行為について有罪とした最決平成14・7・1刑集56巻6号265頁との整合性についても参考になることが書かれているので、気になる人は法教443号を見てね。

盗品関与罪は保護法益について争いがあるけど、その論証をただ暗記してるだけじゃ使えない。
橋爪先生のこの記事は、保護法益が問題となるケースでどう論じればいいかという点で参考になる。
直接これが司法試験に出るかは置いておいて、司法試験で問われるような新しい問題について、どう考えてどう論じればいいのかっていう点で法学教室の記事は参考になるなと。

要件事実演習とかやってくれへんかなぁ。司法修習生や予備試験受験生にも需要ありそうやし。

そういえば、ずっと裁判官やってた加藤新太郎先生の演習はかなり勉強になる。
民訴はやっぱり事例とともに押えるほうがいい。加藤先生の問題は基本問題ばっかりで、解説も判例・通説の立場を踏まえつつ基本的な事項を確認できるので。

そういえば、通勤中の電車で法学教室の演習問題を読んで、頭の中で答案構成するといったことを試験前にやってた。

法学教室の演習は2ページでまとまっているので、時間のない人はおすすめ。

表現の自由と差別というレッテル。の巻

にーやんでーす。

最近のニュース
fun-fun-science.com

このニュースは知っているだろうか?

例のアメリカの大虐殺事件の犯人について、「キチガイ」と発言したニュース。

キチガイ」という言葉それ自体に即反応して、「差別!!!!」とか言う人が少なくない。

小生も小学生のころ、「キチガイ」という言葉は差別の言葉だから絶対に言ったらダメだと。
それは、「穢多・非人(えた・ひにん)」と同様に扱われた。
穢多・非人は差別のためだけにある言葉。
キチガイも差別のために作られた言葉なのだろうか?
キチガイも穢多・非人も同じジャンルなのか?

小生はこれって思考停止だなと思う。

動画を見る限り小林旭氏の発言が、精神障害者を差別しようとして発言したものではないことは明らか。
むしろ健常者なのに確信犯的にこういう残虐なことをする奴は気が狂っているという趣旨の発言で、実際にそう思った人も多かったと思う。

違和感を拭えないのは、これが「クレイジー」という言葉であれば許されていたのかなという点。
キチガイ」という言葉も別に精神障害者を差別するだけに使われてきたわけではない。
「クレイジー」って言葉はイカシテイル、最高って意味でも使われるけれど、それは常軌を逸しているというパフォーマンスに対してよく使われる。
逆に、サイコパスのような狂っている人のことを指すこともある。

言葉には多用な意味合いが本来あって、「キチガイ」=「精神障害者を差別する用語」とのみ捉えると、小林旭氏の発言の言葉尻を捉えて小林旭氏は差別論者だということまで話が大きくなる。

確かに、無意識にそういう差別意識を持っているというケースも少なくない。

要するに、言葉は多用な意味を包含しており、そのニュアンスによって千差万別。前後にどういう発言をしていたのか?そういうことも含めて考えるべきこと。

にもかかわらず、「キチガイ」という言葉だけで無意識に差別主義者というレッテルを貼ってしまう人も同様に差別主義者じゃないか?

それだけ、固有の意味での「キチガイ」だと認識しているという裏返しなのだから。

別に「キチガイ」という言葉を奨励しているわけではない。
ただ、表現の幅がその分狭くなるわけで、それは違うだろと。
表現の自由では言論の自由市場という考えがあって、淘汰されていくものと真実発見から民主主義、個人の人格的発展に資するものなど色々ある。

それを初めから禁止して、その可能性を閉ざすのはもったいない。

お笑いが好きな小生は、最近のバラエティについて、よくそういうことを感じる。

ハゲ、デブはOK
でも、キチガイはダメ。精神障害者を差別するから。

いや、クレイジーがOKなら同じ意味として捉える余地あるやろと。
つっこみで「キチガイ」とか、最高にクレイジーなボケに対してじゃないと笑いは起きないやろうし、あえてそんなことする必要もない。
でも、なんか日本語のほうがいい。
「クレイジー」という言葉に良い意味、悪い意味があるように、「キチガイ」にもそういう両面を備えてくれてもいいじゃないか。
超絶技巧ギタープレイを見て、「ありゃキチガイにしか真似できねえ最高なプレイ」とか、そういうフレーズを受け入れてもいいんじゃないかなと。
「クレイジーな最高なプレイ」という趣旨でもそういう言葉を使ってもよくないかな?
同様に最低な身勝手な無差別殺人者のことを「キチガイ」と発言した小林旭氏は本当に純粋にそういうふうに感じたことをありのまま発言しただけだと思うし、それは真実だろうと思うし、別に精神障害者一般を指した言葉でもなく、犯罪者個人に向けられた言葉であって、人間って本来個人として個性があって、個々で違って当たり前。
キチガイ精神障害者」というふうに人間を画一的に認識している人のほうがよほど差別主義者であり、個人の尊厳を無視している人にしか思えない。

報道においても言葉で表現する際に、言葉尻を捉えてレッテルを貼ろうとするものも少なくない。
特にテレビはそういうしょうもないことをする。


謝罪するならその責任者が謝罪すべきだろ?
中途半端な謝罪は違和感しか生まない。
え?なんで謝罪したの?となる。
そして、こういう窮屈さが今のテレビがおもしろくないところだなと。

土曜、日曜と、司法試験合格のお祝いをして頂いたテレビ局の法務の人とそういうことを語り合ってました。
まぁ、でもそういう社会が健全だというアホな大人が多いのなら仕方ないかなぁ。

もっと自由を重んじろよ!
リベラルを気取っている人ほど差別に敏感でこういう放送禁止用語に反応する。
おいおい、リベラルって本来、自由を尊重するものだろ?

憲法の教科書には、差別と自由は究極的に矛盾するところがあるって勉強しなかったのかね。

というわけで、小生こそ真のリベラル派だと思っているのですが

そういえば、憲法改正について現状維持の左翼っておもしろい現象だよね。
だって本来左翼って革新派という意味で使われていて、
逆に、保守派の自民党憲法という国の根本規則を変えようとしている。

日本は矛盾って言葉の国なのかも。

そういう点で言えば、小生は中道にして右にも左にも偏らない感覚を持っているな!
って勝手に思っているだけなのかなぁ……

脱線したけれど、表現の自由の価値はもう少し尊重したらどうかなと。
でも、表現の自由について研究している憲法の偉い学者とこの話をしても、自主規制は良いんじゃないかとか言ってたし、やっぱり言葉狩りでいい国なのかなぁ。
もちろん、「キチガイ」という言葉を奨励しているわけではない。
けれども、もう少し表現の不自由さは考えていったほうがいい。

言いたいことも言えない世の中


ぽぽぽおp。POISON(反町)

改正債権法の債権者代位権は中途半端?の巻

にーやんです。

最近、労働法や倒産法の勉強をしてます。
岡口先生の要件事実の問題集もやりたいなぁと思っているところですが、なかなかそこまでできてません。

久しぶりに会社法にも接していまして、結構知識が抜けてるなぁと反省中。
しっかり体系的に理解するというのが重要だなと再認識。
まぁ会社法って政策的な部分が大きく、これまでの法制と真逆のことが制度化されたりする。自己株式とか。
そういうのもあって、民法ほど原理・原則、主義、思想が徹底されているわけではない。
とはいえ、改正民法も従来の考え方を変更する部分もある。意思表示の錯誤は「無効」ではなく「取消し」とか。
もっとも、ローマ法時代の心理学的分析による意思表示理論はすでに10年以上前のドイツでも採用されなくなっているので、今までの民法が古すぎたというのもあるので、理論面が進化したということもできるかもしれない。

しかし、改正民法でわけわからないのは、債権者代位権
これも改正された部分があるのだけれど、超重要だと思う「制度趣旨」については曖昧なまま放置!
民法の偉い先生と飲みに行ったときにも「中途半端!」とか言ってました。
何が中途半端かというと、債権者代位権行使と相殺の関係。

金銭債権を有する債権者が債権者代位権に基づき債務者の金銭債権を差し押さえて相殺することができるか?
判例は「できる」というのだけれど、債権者平等の原則との関係では説明しづらい。
債権者代位権は債権者平等の原則のための責任財産保全のための制度」という考えからすると、相殺を認めるとその分について債権回収した状態と同じとなり、これでは責任財産保全にならず、むしろ権利行使者の先取りを認めることのにってしまう。責任財産保全を重視するのであれば、相殺は認められないということになる。

ロースクールでは改正の委員会にいた先生の授業で、改正経緯についても勉強して、別の民法の先生とも話を聞いたところ、要するに「判例を条文化する限度で改正しよ」という結論に至ったよう。
委員会では学者や省庁の公務員、弁護士などがそれぞれの立場から意見を戦わせるわけだけれど、全委員一致じゃないと条文化にならないというルールがあるようで、そういうのも中途半端な原因なのだろう。
逆に、訴訟上の問題との関係で、これまで代位権行使の通知が債務者に到達した後は管理処分権を失う結果、被代位債権について権利行使できないと解されていた(判例)。
ところが、改正法ではこれとは真逆で債務者による被代位債権の権利行使は認められることとなった。代位権を行使した債権者は債務者に訴訟告知義務も課されており、債務者は訴訟参加できるということになるのだろうが、これまでは債務者は管理処分権がなくなり、代位債権者は法定訴訟担当という構成で既判力が債務者に及んでいたが、この点はどうなるのか?株主代表訴訟と同じような感じになるのかな?

たこの点についても、時間があれば調べようっと。

民法の勉強は売買契約から?の巻

まいどでーす。

にーやんです。

司法試験ってやっぱり民事系を制する者が勝ちやすいなと、改めて思うところです。
特に民法は範囲が広いので、攻略は難しい。

初学者にとって最大の壁といえる。
小生もそうでした。

民法をマスターするコツは、まず売買契約を押さえること。

小生はそう思うところです。

なんで売買契約か?
まず売買契約は有償・双務契約の代表格でもあり、他の有償契約に準用されるもので、しかも最も具体例を想定しやすい。
そして、売買契約を理解するということは、契約の成立について理解することでもあり、そこでは意思表示や法律行為といった基本的な用語の理解が必要となるので、契約各論の知識だけではなく、民法総則の理解も必要だということも、これによって気づける。
そういうわけで、基本として押えるべき契約類型といえる。

というわけで、まず押えるのは民法555条から。
ここから契約の法的意味を理解することが可能になってくるので、具体的に考えてみる。

民法555条は次のように書かれている。

売買は、当事者の一方がある財産権を相手方に移転することを約し、相手方がこれに対してその代金を支払うことを約することによって、その効力を生ずる。

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